朝礼訓辞

令和3年4月 朝礼訓辞

 私は今、85才ですが、私と同じ年齢の是枝律子さんという大阪に住んでおられる看護師さんの手記を読みました。
 結婚し、子供にも恵まれ、とても幸せな生活を送っておられましたが、突然、御主人と子供さんを亡くされたのです。
 その時は、涙は止まることなく、言葉では表現できず、夢遊病者のようにふらふらとさ迷い精神科にも通院されたそうです。
 40才後半のことでしたが、この重い気持ちから抜け出すために休日を利用し、大阪の釜ヶ崎に向いました。ホームレスの人々が路上で生活していましたから、そこで炊き出しをやり、夜中に毛布を配るなどのボランティア活動に没頭されました。
 或る日、古本屋で「マザーテレサのあふれる愛」という本に出会い、一般の書店なら280円でしたが20円で購入されたということです。
 マザーテレサの生き方に衝撃をうけ、テレサの生前、10年間に日本とインドの間を50往復し、人間に対する愛に目覚め、第2の人生を豊かに有意義に送って居られるようです。一度お会いし、どのような老後を送って居られるのか知りたいものだと、私は思って居ります。
 今から72年前、私も是枝さんも小学4年生で終戦を迎えましたが、是枝さんは、お父さんの仕事の関係で台湾に住んで居られました。突然、事情はがらりと変わり、父、母、弟、妹の一家は難民生活となり、1日1食か2食で路上で物乞いも経験されたのでした。
 5か月後、やっと日本に帰れることになり、引き揚げ船に乗るため家族で並んでいるところに黒衣の外国人がやって来ました。父の知り合いの方だったのでしょうか、野球ボールの大きさの石鹸を2個下さり、また自分の履いていたゴム草履を脱いで父に与え、自分は裸足で帰って行かれたのです。
 引き揚げ船は、父の故郷である長崎に着きましたが、当時の長崎は、原爆投下のあとで惨々たる状況でした。食うや食わずの生活で、いただいたゴム草履を10円で売り、1ヶ月生活できました。
 そして更に驚いたことに、黒衣の外国人が呉れた石鹸の中に小さくたたみ込んだ日本円が入っていたのです。
 その夜、父は粗末なお盆の上にお金をひろげて号泣しました。
「このことを決して忘れるのではない、律子。人の痛みをわかる大人になるんだよ」
と父は云い家族全員で止めどもなく涙を流しました。このことが、是枝さんの心に焼きつき、一生を導いて呉れたのです。
 今、日本と中国の関係がおかしい、ロシアと日本の関係もおかしい、いつ戦争が起こるかも解りません。
 コロナは世界中を襲い続けていきます。第4波がすぐそこにやって来ています。
 私達の周囲でも富める人と貧しい人の差が大きくなり、仕事を失ったり、会社が倒産したり、苦しんでいる人がどんどん増えています。
 どんな中でも私達は、私達の身近にある困った人、貧しい人にやさしくしてあげ、病気で苦しんでいる人のために、私達に出来るだけのやさしい言葉をかけ、労ってあげなければならないと思います。
 今度の土、日は、2回目のコロナワクチンの接種です。少し痛いけど頑張って受けましょう。
 今月も何卒よろしくお願いします。一緒に頑張りましょう。

 

医学と福音 2021年2月号より参照

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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