朝礼訓辞

令和元年6月 朝礼訓辞

 「馬毛島」は、種子島の眞西12kmのところに浮かぶ島で、水深80mに満たない浅い海底は屋久島とも連らなっています。
 周囲は12km、海抜70m(一番高いところ)ほどの平坦な島です。
かつて島には沢山の小川があり、メダカやドジョウなども棲んでいて、地下からは眞水が湧き、渡り鳥の休息地にもなっていました。
 島の周りには、プランクトンが繁殖し、藻や海草が生い繁り、「飛魚」の大群が押し寄せたと云われます。この島を中心とする熊毛海域は飛魚の年間漁獲量が三千万尾で、日本一になったこともありました。
 「馬毛島」は魚が多く集る一つの漁礁であると云われます。太古の昔から人が住み、この島で生活しました。それ以来、馬毛島の漁師たちは「宝の島」と呼んでいたのです。  

 下野敏見という鹿児島の歴史学者は、次のように語っておられます。
「馬毛島、それは種子島の人びとの心の中に咲く美しい花である。もしその花がしぼめば、人びとは知らない中に、力を失うだろう。それは、心の中に咲く一輪の花である。種子島の人びとは朝な夕なその姿を見て、清められ、力が湧いて来るのである」  

 また北海道大学教授で、馬毛島の鹿の研究をされている立澤史郎先生は、馬毛島からの景観について、次のように述べておられます。
「母が幼子の馬毛島に添い寝しているような優美な種子島が目の前にある。更に遠くに重なる大隅半島と開聞岳、噴煙を上げる硫黄島があり、そして目の前にたちはだかる屋久島の威容は、何とも表現し難いものがある」  

 50年前まで馬毛島には、漁民が300~500人もすんでいて、100世帯近くあり、小学校、中学校もありました。
 私は、10年近く馬毛島小・中学校の校医をしていました。「馬毛島丸」という定期船が、午前、午後と二往復していたと思います。往診にも何回も行きました。
 私にとっても、懐かしい島ですが、昭和55年、完全に島から人が居なくなり、今や日本で2番目に大きい無人島になりました。  

 私達は朝夕、馬毛島を見て暮らしていますが、背中にえぐられたような傷痕があり、悲しくなります。
 大切にいたわり、いつまでも私達を慰めて呉れる島であってほしいと思います。

 6月に入り、梅雨の季節です。体調に、そして特に食中毒に注意し、今月も一緒に働きましょう。

「馬毛島、宝の島」―豊かな自然、歴史と乱開発―より引用

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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