朝礼訓辞

令和元年5月 朝礼訓辞

 平成の時代が終り、令和の時代に入りました。
平成時代は30年続きました。昭和の時代は、64年でした。その前の大正時代は15年でした。そしてその前の明治時代は45年でした。

 令和の令の字は、屋根の下に人がうずくまっている字と云われます。風雨を凌ぎ、大きな屋根の下で、人間が平和に暮らしていることを暗示しているのです。

 令和の和の字は、もともと左側の禾(のぎへん)は米偏(こめへん)だったのです。右側は口ですが、人間が米を口で食べていたことを意味します。
 人間が米を食べて、雨風を凌ぎ、平和に暮して、五穀豊穣を祈り、名付けられた名前です。

 明治、大正、昭和、平成の中で戦争がなかったのは、平成時代だけでした。
 どんな事があっても、戦争だけは起きない世の中であるよう祈っています。

 「死を目前にした兄と弟」という、雑誌の記事を読みました。
 太平洋戦争の時、鹿屋に航空隊があり、日本の最前戦の基地でした。
 そこにまだ、10代の若い弟が飛行機の整備工として働いていました。
昭和20年(終戦の年)6月、朝鮮半島の仁川にあった航空基地から、鹿屋にこちらもまだ10代の兄が鹿屋の基地で飛行機の整備をして、南の敵地へ飛び立つ仕組みになっていました。
 決して生きては還れぬ片道燃料だけの突撃隊でした。
 兄が朝鮮から鹿屋に飛来したその夕、兄と弟は久し振りに再会し、夕日の沈む頃、沖合の海の見える丘に並んで2-3時間、語り合う姿が見られました。
 2人が会ったのは、それが最後でした。いろんなことを語り合ったのも最後となりました。
 兄はその夜、南の島に飛び立ち、そのまま還って来ませんでした。死んで行く兄を見送る弟、飛び立つ兄、2人はどんなことを語り合ったのでしょう。
 兄は「俺は先に行くから、お前は生きて、母さんのことを頼むぞ。決して死んではならんぞ」と云ったでしょう。
 弟は「お母さんのことは、俺にまかせておけ。兄さんこそ出来るなら、生きて還ってほしい」と云ったのでしょう。

 それから暫くしてから、整備工の弟も特攻隊員になり、南の島へ飛び立ち、再び還って来ませんでした。
 戦争ってなんと、むごいものでしょうか。戦争だけは、絶対にしてはならないのです。  

 新しい令和の時代が、戦争だけはない時代であるように祈るばかりです。

 時代は移り、人は変ります。野の花は変りません。そして私達の使命も変りません。
 病に苦しむ人に寄り添い、貧しい人を助け、困った人の相談にのってあげ、お互いにいたわり合いながら楽しく働きましょう。
 新緑の5月、今月も一緒に頑張りましょう。

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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