朝礼訓辞

平成29年8月 朝礼訓辞

 去る7月18日、東京の聖路加国際病院の名誉院長であられた日野原重明先生が、
105才で亡くなられました。
 生涯現役を謳われ、患者に寄り添う姿勢にこだわり、死の1ヶ月前まで
「人生はゴールの時まで向上できるし、希望がある」と語り、先生の手帳には、
5年先、110才までのスケジュールがぎっしりと書き込まれていたそうです。
 瀬戸内寂聴さんは、日野原先生のことを「この人は死なない人なのかも」といつも
思っていたとテレビのインタビューに答えていたのが印象的です。

「生活習慣病」を提唱され、「終末期医療」の大切さを説き、日本の「ホスピス医療」
の先駆けとなられました。また、全国の75才以上の元気な人に呼び掛けて
「新老人の会」を設立され、高齢者が積極的に社会に参加し、貢献する意義を説かれました。
そして、看護師の地位向上を目指し、看護大学を創設されました。
 90才の時に刊行されたエッセイ集「生きかた上手」がベストセラーになり、
ひょうひょうとした口ぶりで「人はいくつになっても生き方を変えられる」
などと高齢者論や人間論を語る姿に国内外に多くのファンが生まれました。

 100才を越えても講演などで各地を飛び回り、長寿社会の元気な老人を
象徴する存在でした。
私は学生時代60年前から先生の講演を何回か聞きましたが、103才の時は
鹿児島の宝山ホールで開かれた講演会を聞いたのが最后でした。
 音楽をたしなみ、自分でオルガンの演奏をされ、ミュージカルの脚本を書かれました。
 最も有名なのは、88才の時に手がけられた。「葉っぱのフレディ」というミュージカルで
主人公は1枚の木の葉っぱでした。
「葉っぱは、春に生まれ成長し、夏を楽しく過ごしますが、冬になると
1枚また1枚と仲間が減って行く。
散ることは死ぬこと、そうだ、みんなそうなんだから怖くないよ」
と私達に教えて下さっています。

 聖路加病院というのは、キリストの弟子の中の1人で、医者であったルカの名前を
日本語化したものですが、日野原先生は、太平洋戦争の眞只中、1941年終戦の
4年前に就職され死ぬまで、この病院で医師として働かれました。
 東京空襲の時も、米軍は聖路加病院を避けて空襲を行い、無傷で残りました。
東京空襲の時は、沢山の負傷者を治療し、地下鉄サリン事件の時も、多くの負傷者を
受け入れ、この頃からすでに災害医療の必要性を実践されていたのです。

 いろいろ先生の一生を見つめてみますと、
アフリカ黒人の医療に奉仕されたシュヴァイツァー
またインドで貧民のために一生を捧げた、マザー・テレサなど共に天からこの世に
遣わされた聖人であられたように私は思います。

 「命というのは使える時間、自分の持っている時間を誰かのために使ってほしい」
と、いつも云っておられましたが、私達は、私達が今かかわっている「せいざん病院」
の患者さんのために心を尽くして、寄り添ってあげることが大切だと思います。

 8月に入りましたが、暑さや台風やらで、大変でしょうが、
健康に気をつけながら、今月も頑張りましょう。

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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