朝礼訓辞

令和元年10月 朝礼訓辞

 作家の芥川龍之介のことは、皆さん、よく御存知だと思います。以前、私は、彼の「蜘蛛の糸」の話をしたことがありますが、今日は「奉教人の死」という彼の小説の中から、筋書きだけをお話しさせて下さい。

  舞台は、中世の長崎です。1000年も前のことではないでしょうか。主人公は、ロオレンゾという篤い信仰をもった少年です。
 赤ん坊のころ、サンタルチアという教会の門の前に捨てられていたところを宣教師や、信者さん達が介抱して育てました。
 成長するにつけ信仰が篤くなり長老衆が舌を巻くほどで天人の生まれ変りではないかとまで称えられるようになりました。
 顔形が玉のように清らかで、女性のようにやさしい声の持主でした。

 成人になった頃、彼に思いを寄せる傘張りの娘がいて、やがて、二人に悪い噂が立つようになりますが、ロオレンゾは「そんなことは一向に存じよう筈もござらぬ」と涙声で繰り返すばかりでした。
 やがて、その傘張りの娘が身篭ったという騒ぎが起き、娘はお腹の子の父親はロオレンゾであると告げたため、彼は教会を破門になり、追い出されてしまったのです。
 それ以来、ロオレンゾは哀れな物乞いに身を落とし、子供達にあざけられ、石を投げつけられることも度々でした。
 それでも彼は、教会にいた時と同じように、決して祈りを忘れることはありませんでした。それから1年ほど経った頃、長崎の街に大火事が襲いました。風下にあった傘張りの娘の家を見ると、大きな炎に包まれていました。
 ふと気が付くと赤ん坊の姿がありません。しかし、最早助け出す術はなく、人々は、狂気のようになった娘をなだめる他はありません。
 そこに「神よ助け給え」と叫ぶ人が現れました。他ならぬロオレンゾです。彼は迷うことなく火の中に飛び込み、自分は焼けただれながらも息も絶え絶えの状態になりながらもついに赤ん坊を救い出したのです。
 ところが、死んでかつぎ出されたロオレンゾの焼きただれ、焦げ破れ、はだけた胸の間には、清らかな二つの乳房が、玉のように露わに見出されたのです。
 それまで涙にくれ、幼な子を胸に抱きしめていた傘張りの娘は、並みいる人達の前で、実はこの子は、ロオレンゾの子供ではなく、異教徒の男性と密通してもうけた子供であると告白したのです。

 この小説に描かれているのは、どこまでも美しく清らかなロオレンゾの姿です。このように生きることは、とても難しいことですが、周囲の罵詈雑言を意に介することなく、神以外のものには目もくれず、信仰を貫く、健気な姿勢こそが、芥川龍之介が求め続けた世界であったのです。
 小説家だけでなく、音楽家にしても、彫刻家や画家にしても到達点というものはなく、最高の傑作を目指している中に、必ず行き着くのが宗教であり、宗教に頼ることにより、よりよい作品が生まれて来るのであろうと私は思います。

 私達は医療という尊い職業を与えられ従事していますが、ただひたすら患者さんの友となり、やさしく労わってあげることのみが、私達に求められていることを感じます。

 今月も一緒に頑張りましょう。よろしくお願いします。

「致知」9月号より 参照
医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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