朝礼訓辞

平成30年3月 朝礼訓辞

 今年は明治維新から150年、西郷隆盛が城山に死んでから140年になります。
 NHKは、大河ドラマ「西郷どん」を毎週日曜、午後8時から放映しています。
このドラマは、林真理子という女流作家の小説をもとに制作されています。

 西郷は、体が大きく眉が太く目が大きく、男からも女からも年寄りから子供達に至るまで
好かれる人柄でした。
 13の時、すでに身長180cm近く、体重も75kg近くでした。
祖父母、両親、妹2人、弟3人の貧しい家に育ち、子供の頃は衣食住にも不自由を極め、
大変な生活を送りました。

 幼少の頃より、畑仕事を手伝い、郷中教育を受け、武芸は示現流で剣の道に励み、
造士館に通い、四書五経を学び、儒学の道をひたすら追い求めました。
 薩摩藩主島津斉彬に認められ、江戸にのぼり、出世の道を歩き始めます。
ところが、斉彬が急死(毒殺説もあります)して、義理の弟、久光が藩主になった途端に
境遇ががらっと変わり、久光にうとまれて3度島流しに遭っています。
 奄美大島から、徳の島、最后は、沖永良部島でした。
沖永良部では、2坪ほどの壁もない、吹きさらしの牢でした。
 8月の焼けつく陽射しが入って来る。夜は蚊の大群が襲いかかります。
小さな壷がおかれ、便所がわりです。悪臭が立ち込めます。
台風の時は、暴風が吹きすさび、砂がビシビシと皮膚にあたり、血が流れました。
 西郷は、終日座禅を組んで、耐え忍びました。
西郷がフィラリアに罹ったのは、この沖永良部島だったと私は想像するのですが、
のちに許され、江戸にのぼり、出世して明治天皇の前で床にまたがり書をかくとき、
ふぐり(陰のう)が邪魔になったという逸説が残されています。
そして、馬にまたがることが出来ませんでした。

 書は沢山残されていますが、写真は1枚も残されていません。
当時は、写真を撮ると、魂がぬき取られるという噂が広まっていましたが、
それが原因なのかどうかは解りません。
 酒は余り飲めませんが、煙草が大好きで鰻が好きでまた犬が大好きでした。

 西南戦争(明治10年の役)で、政府軍と戦い熊本は田原坂での戦いに敗れ、
宮崎の延岡に逃れましたが、いよいよ敗戦が濃くなり、鹿児島へ向うのに
軍服(陸軍大将の)を脱ぎ、連れていた2匹の犬を放しました。
一匹のツンという犬は其の后、鹿児島の武の屋敷に帰りつき、もう一匹のシロは、
延岡の人々に「西郷の犬」として、いつまでも大変可愛がられたそうです。

 いろいろな苦難や苦労を味わいながら、人はその一生を終えるのですが、
病気、心配事、苦しみ、悲しみを乗り越えて、私達は生きて行かなければなりません。

 3月に入り、やっと寒さがとれて来ました。
 今月も一緒に頑張りましょう。

  林 真理子「西郷どん」より

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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