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田上病院が、一昨年4月から種子島医療センターに名称変更したことを、島民に知って貰う
ために、去る1月21日に市民会館で「病院際」が催されました。
特別講演の講師に、長野県諏訪中央病院名誉院長で有名なテレビなどにもよく出演して
おられる鎌田實先生をお招きして、「地域で生命を支える」と題して講演していただきました。
先生は、「がんばらない」という本を出版され、多くの人が共感しましたが、
ただ「がんばらないでいい」と思われるだけでは駄目だと考えられ、3年後に「あきらめない」
という本を書かれました。
先生は、お母さんが病弱だった姿を見て、医者になることを志すようになられ、
高校三年生になった18才の春、お父さんに泣きながら頼みましたが、「馬鹿なことを云うな」
と云われました。
それでもあきらめずに夏になり、またお父さんに医者になりたいと頼みましたが、逆に打ちのめ
されました。その瞬間、先生はお父さんの喉元をつかみ、首を締めようとされたのです。
しかし、それから二人して長い時間、抱き合って泣いたのでした。
最後に、お父さんは、「応援は出来ないが、お前の好きなようにしろ。貧乏な人間が、
どんな思いで医者にかかるか忘れるなよ」と云って呉れたのでした。
それから、猛勉強して東京医科歯科大学に入り、医者になり、長野県の田舎の病院で働き、
地域医療の概念を広め、長野県を日本一の長寿県にまでにされたのです。
先生を育てて下さったお父さんお母さんは、実は先生の実の親ではなく、2才の時、
実の親に捨てられたのを引き取って下さったのですが、37才になるまで、そのことを知り
ませんでした。お父さんが必死で隠していたのですが、お父さんはタクシーの運転手で、
少ない収入の中、先生を育て、お母さんの病気を治すため、一生懸命に働いて、先生を大学に
行かせたくなかったのではなく、貧乏な生活の中で、どうしたら大学に行かせてやれるのか
想像がつかなかったからなのでした。
云えば、不条理ですよね、と先生は仰います。でも、不条理なことは、世の中には
いくらでもある。しかし、悪いことは、ずっと続く訳ない。どんな物事にも、いい時もあれば、
悪い時もある。あらゆるものには、「波」がある。だから、どんな困難な状況に陥った時にも
「もう駄目だ」とあきらめてしまわないことが大切だ。あきらめない気持さえあれば、
道はいくらでもある。と教えておられます。
そして、99%は自分のために汗を流す。1%を人のために汗を流す。
すると、不思議なことに、ブーメランのように自分のところに何らかの形で戻って来る。
職場でも1%だけ、他人のことを気遣える人のほうが、100%自分のためにだけ生きている
人よりも、結局出世して行くものなのだ、見る人は見ているのです。と諭しておられます。
私達も、自分のためだけではなく、少しでも困っている人、貧しい人のためになるような
気持ちを持ち、働いて参りましょう。
一年中で一番寒い季節です。しかし、もう春がそこに待っています。
頑張っていきましょう。よろしくお願いします。
「抜粋のつづり その70」より引用
医療法人純青会 せいざん病院
理事長 田上 容正