朝礼訓辞

平成28年9月 朝礼訓辞

 江戸時代の末期、熊本に松崎慊堂という有名な儒学者がいましたが、幼少の頃、家が貧しくて、寺に預けられていました。

 幼名を松五郎と云い、頭がよく、勉強好きでした。13才の時、江戸に出て、昌平坂学問所(今の東大の前身)に入りますが、たちまち塾生のトップになります。

 或る日、松五郎が考え事をしながら道を歩いていると、町のならず者たちにドスンとぶつかってしまいました。そして、彼らが手にしていた酒の入った徳利を割ってしまいました。

 「ごめんなさい」といくら松五郎が謝っても許して呉れず、酒代出せと、法外な値段を要求します。「そんな大金はありません」としきりに謝りますが、ならず者たちは、ますます激昂して脅してきます。

 その様子を近くの旅籠の飯盛女(今でいう売春婦)で「おすみ」という女性が見ていましたが、突然、ならず者たちに近づき、「あなたたち何やってんのさ」と間に割って入りました。

 そして彼らが要求した額をその場で全額立て替えて支払いました。

 松五郎は恐縮して「お金は必ず返します。しかし今は、お金はないので、分割にして下さい」と「おすみ」に申し出ました。

 ところが話を聞けば、月に二分(今の3万円)で生活しており、着ているものも、みすぼらしいものでした。「おすみ」は同情して「では、私が月に2分あなたに払ってあげましょう」と申し出ました。毎月毎月おすみから松五郎へ、月3万円の仕送りが始まりました。

 そして、何ヶ月か何年か、圣った頃、ぷっつりと松五郎の消息が解らなくなりました。長屋にいっても不在です。周りの女性たちから「ばかね、あんた騙されたのよ」と云われました。

 更に何ヶ月か圣った或る日のこと「おすみ」の住む宿屋に立派な身なりをしたお侍さんが駕籠にのってやって来ました。「おすみさんはいますか。」

 呼ばれて出て来た「おすみ」は驚きました。あのみすぼらしかった松五郎が立派な姿でそこに立っているではありませんか。

 松五郎は、懐から六両(今のお金にして600万)のお金を出しました。

 「いままでお世話になりました。これは、お借りしたお金です。塾を卒業し、掛川藩の教授に任命されて赴任するところです」

 「今迄、本当にお世話になりました。有難うございました。」そして最後に「あなたさえよければ、私の妻になって下さい」と申し出ました。

 その後、2人はめでたく祝言(結婚式)をあげました。

 赴任した掛川藩でも、どんどん出世し、藩を動かす程の人物となり、儒学を治め、日本を代表する学者になりました。

 そして、江戸末期から、明治維新に活躍した、渡辺崋山や高野長英などの弟子を育て「おすみ」は、これらの人々からも母のように慕われ、この世を去りました。

 職業に貴賤はありません。職業や身分よりもその人物が人として尊敬できるかどうか、人として矜持を失わずに生きて行くかどうか、そういうことを大切にするのが、本来の日本人なのです。

 医師も看護師も薬剤師も介護士も事務の人も掃除をする人も運転する人も料理を作って呉れる人もみんな同じです。

 「人を大切に、人をいたわる心を忘れずに、今月働きましょう」

小名木善行著「日本人」より

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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