朝礼訓辞

平成28年6月 朝礼訓辞

 ある鉄工所で溶接工として働いている青年がおりました。
70才を過ぎたおばあちゃんがいましたが、この青年がまだ中学校だった頃、おばあちゃんの家に
遊びにいったときのことです。

 「おばあちゃんの家、新聞ないの」と聞いたら、「ないよ、おばあちゃんは字が読めないから
ね」 と恥ずかしそうに笑って答えました。
 聞けば、おばあちゃんは幼い頃から、実家の仕事を手伝い、学校に通わせて貰えなかったの
です。結婚させられてからも、仕事と育児に追われ、勉強する時間などありませんでした。
 読み書きが出来ないまま、気がついたら70才を過ぎていました。

この少年は、日本人でありながら、日本語を読めない人がいるということを初めて知りました。
それから、少年はおばあちゃんに読み書きを教えたいと思うようになりました。
 「俺がひらがなを教えてあげるよ」「この年で勉強なんていいよ」
「勉強なんて何才になっても出来るって」こんなやり取りがあり、初めは断り続けていた
おばあちゃんでしたが、心のどこかに勉強したいという思いがあったのでしょうか、
「頑張ってみる」と承諾して呉れました。
 どうすれば解り易く教えられるだろうと毎日毎日考えていましたが、ふと一つの案を
思いつきました。
「ばあちゃん、一番好きな歌はなに?」
「そうやね。一番好きなのは、坂本九の“見上げてごらん夜の星を”だね」

 結婚してから、テレビも買えなかったおばあちゃんの楽しみは、ラジオを聞くことでした。
ラジオから流れる坂本九の歌を聞きながら、仕事と家事で疲れた体を癒すのが唯一の楽しみ
だったのです。
 「これからこの歌で勉強するぞ」、すぐに坂本九のカセットテープを買い、ラジカセで
繰り返し繰り返し聞かせ、歌詞カードの字を何度も何度も書き直させました。
それは、見上げてごらんの「み」の字から始まりました。
「そんなに坂本九が好き?」
「好きやで。でも今はそれ以上に九ちゃんの歌を聞きながら、孫と一緒に勉強することが幸せ
なのよ」
 おばあちゃんは歌だけではなく、孫と一緒に勉強する時間を楽しみにして呉れていました。
それは、勉強したくても勉強出来なかった、幼少時の時間を取り戻しているように見えました。

 おばあちゃんは、それから2年後に癌のために天国に旅立ちました。
なかなか、ひらがなを覚えられませんでしたが、亡くなる寸前に努力の結果を、そして、最初で
最後になる手紙をこの青年に書き残して呉れました。
 「いままでおおきに」ひらがな一つ書けなかったおばあちゃんの書いた手紙は、
とても汚い字でしたが、どんな字よりも青年の心に沁みる美しさがありました。
 たまに坂本九の歌が流れると、青年はいつも「頑張ろう」という気持ちになるそうです。

 鉄工所で溶接の仕事をしながら、眞面目に生きている、このような青年がいることを思うと
、私ももっと頑張らなくちゃ、という気持ちになります。
 体が元気な中は、頑張ります。
 いよいよ梅雨に入ります。体に気を付けながら、今月も一緒に患者さんのために頑張りましょう。

「抜粋のつづり その71」より引用

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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