朝礼訓辞

平成27年9月 朝礼訓辞

 北海道の滝川市というところで、美容院を経営されている吉見(よしみ)清美(きよみ)さん
という方は、全日本美容講師会最高師範と日本着付学術会名人位という肩書きを持ち、今でも
元気に働いて居られますが、74才になられるまで、意味なく寝転がっていた日は一日、
いや一時間たりともなく、夜の9時、10時までずっと頑張って居られたようです。
 北海道の深川というところの農家に生まれ、小さい頃から習いごとなどをしていましたが、
24才の時、お母さんの懇意にされている方の紹介で、3才年上の御主人とお見合いを
されました。
結婚式の時、目の悪い人達ばがりがピアノを弾いたり、歌を歌ったりするので、何だろうと
思っていたら、御主人も視力障害の人だったのです。
 とてもショックでしたが、すぐにお断りするのも仲人さんに悪いし、6ヶ月我慢しなさい、
そしたら実家に帰って来てもよいよ、とお母さんが云って呉れました。自分も別れようという
思いは膨らんでばかりでしたが、女の人って妊娠するのですね。そして段々と大きくなる
おなかをさすり乍ら、罪なことだけれどもと思い乍らも、とうとう人工流産をされます。
先生から「どうして堕ろすんだ」と叱られましたが、ただ黙って泣くばかりでした。
 毎日御主人は見舞いに来て呉れましたが、ある晩びっくりするように顔を腫らしてきました。
「溝に足を突っ込んだだけ」と云っていましたが、実は酔っぱらいぶつかって、
叩かれたのです。
主人はそこまでして自分の所に来て呉れた、命がけで自分を守って呉れようとした人を見捨てる
訳には行かないと彼女はこの時ガラッと変わったのです。
 扠て、これから自分は何が出来るのだろうかを考えている時は、ある友人から、看護士さんを
目指したらと云われ、看護士見習いからスタートされたのです。病院の勤務を終えると、月夜の
下で稲刈りをしたり、化粧品を売って歩いたり、実家から持って来た着物も全部売り、
マッサージ士だった御主人には理学療法士の資格を取って貰いたいと一生懸命に2人分の学資を
稼ぐのでした。
 何とか2人で食べて行けるようになり、或程度の貯えも出来たある日のこと、病院の夜勤を
終え、行きつけの美容室に入ったところ、3人のスタッフがワンワン泣いていました。
その美容院のオーナーが破産して、突然いなくなったのです。明日からどうやって生きて行った
ら解らない、というのです。その時、吉見さんの口から咄嗟(とっさ)に出た言葉が「分かった。
私が責任を持つ」でした。滞納した家賃を払い、取引き業者に支払いを延ばして貰い、3人の
スタッフに営業を続けて貰い、夜も昼も働きづくめで、今では4軒の美容院を経営し、
美容・着付け・メーク・エステなどの講演会などに講師として招かれ活躍されているそうです。

 困っている人を放っておけない、これが御主人との出会いを通して自然と自分の中に芽生えて
行った感覚であると述べて居られます。力の限り生き抜いて、自分の周囲の人を幸せにして
あげたい、こんな嬉しいことはない、これが吉見さんの信念であり、美しい心と感謝の気持ちが
あれば、人生の闘(たたか)いは乗り越えられると述懐されています。

今月も残暑が酷しいと思います。台風も幾つか来るでしょう。体に気を付けて頑張りましょう。
よろしくお願い致します。

「致知」8月号より抜粋

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